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「終活」と聞くと、あなたはどんなイメージを思い浮かべますか?
暗く、悲しく、寂しいイメージでしょうか?
それとも穏やかで暖かく、円満なイメージでしょうか?
終活に対するイメージは、その人の死生観(死に向き合う姿勢)を端的に表しているものともいえるかもしれません。
どんな人にも死はやってきます。
いずれやってくる死を安心して迎えるために、終活を前向きに考えること。
それは「これからの人生をどう生きるか」を具体的に考えることと同じです。
「終活はもっと年を取ってからでいいだろう」
「終活なんて、まだ早すぎる」
そうはいっても、若くても突然亡くなる人は珍しくありません。
遺言を残す間もなく不慮の事故などで亡くなってしまった場合、
資産の預け先である金融機関の口座番号やパスワードは?
知らせるべき会社の連絡先や、取引先リストは?
死を知らせるべき親戚や友人の名前は?
大切な情報をなにも伝えることができないまま、この世を去らなければなりません。
遺された家族は、途方に暮れてしまいます。
終活にまつわるさまざまな決定は年老いてからでは遅すぎることもあります。
たとえば遺言書などは、記憶がはっきりしていなければ書き残すことができませんね。
また生前整理のため家を片付けるには、足腰がしっかりしていなければ、実行するのはなかなか難しいでしょう。
終活に「早すぎる」ということはないのかもしれません。
エンディングノートでこれまでの道程を確認することで、これからよりよく生きるためのヒントも見つけられるからです。
終活は「死に支度」?
それも間違いではないかもしれませんが、「よりよい生き方を再発見できる」というメリットも同時に考慮すべきですよね。
私はまだ40代ですが、終活は早すぎるとは考えていません。
私が終活を考えるきっかけになったのは、離婚でした。
離婚するまでは、精神面でも経済面でも夫に依存する生活でした。
しかし実際に離婚してみると、一人で生きていくことの風当たりの強さを感じる場面も多かったです。
一人で生きていくことは、誰にも責任を転嫁せず、誰かに依存することなく、自分の身じまいをしっかりつけることだと知りました。
自由であることの見返りを正面から受け止めなければ、私にとって満足のいく人生とはいえません。
私の責任とは、第一に子供を一人前にすることです。
その道半ばにして、なんの準備も整わないまま万が一私が死んでしまったとしたら・・・と考えると、悔やんでも悔やみきれません。
自分のために「終活」しよう。
悔やまないために。
私にとって、そこがはじめの一歩でした。
終活について調べていくうちに、さまざまな情報があふれていることに戸惑いました。
とりわけ遺産相続についての情報は、弁護士や行政書士など専門知識のある執筆者が書いていることが多いからか、専門用語がわかりにくく理解しずらい一面があります。
実際、超メンドクサイです。
しかし丁寧に調べていくうちに、遺産相続について定めた民法は「知らないでは済まされないような重要な法律」であることを知りました。
これだけは断言できます。
相続できる財産があるかないか、多いか少ないか、そんなことはあまり関係ありません。
相続に関する法律は、誰でもどんな立場の人でも絶対に知っておくべき情報なんです。
できるだけ分かりやすい言葉で、相続に関する法律をみなさんに知ってもらうため、情報発信していきたいと考えております。
もしあなたが終活について知りたいと考えておられるなら、私と一緒に学びませんか?
少しずつ、一歩ずつ、前に進みましょう。